スポーツや芸能の世界では、彼らの活躍を応援し支えるファンの存在がいつでもいるものです。
しかし、そのファンが、応援している彼らに対して失望してアンチと化して、今まで応援していた対象に対して攻撃的な行動をとることも、残念ながらよく見られるものだと思います。
例えば、プロスポーツ選手or団体を応援していたファンが、あまりの不調っぷり失望して、汚いヤジを口にするようになったり、ネット上で辛辣なコメントで応援対象を叩くようになる…と言う具合です。(なお、こうした光景は見る人によっては「なんだかんだ言って、まだファンなのでは?」「実は愛の鞭として、あえて厳しめに応援しているのでは?」見られることもあります。)
今回はこうしたファンがアンチがする心の動き、メカニズムについてお話ししたします。
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目次
熱狂的ファンが持つ「応援対象=自分」という心理
熱狂的なファンは、ギャラが出るわけでもないのに応援している人やチームのために、やたらアクティブで積極的に応援することがあるものです
言い方は悪いかもしれませんが、所詮は他人事なのに、まるで自分のことかのように愛着や親近感を覚えて、応援することに夢中になっているようにも見えることでしょう。
心理学では、こうした他人や集団と自分と結びつけて考えること「集団同一視」と呼びます。
集団同一視は、ある集団に所属する事が心地よく感じられると同時に、その集団に対して親近感を抱き、貢献したいという気持ちを抱く心理の事です。
また、集団に対して貢献していくうちに「集団=自分」、つまり「応援対象=自分」と考えるようになり、ますますファンとしての活動に夢中になっていきます。
「応援対象=自分」と考えているからこそ、チームの活躍や勝利を自分のことに事のように喜びます。また、ただ応援しているだけの傍観者ような立ち位置ではなく、自分もチームの一員と考えるような距離感の近さも見られます。
一ファンであると同時に、自分はチームの一員だと考えているから「チームのために必死になって応援して、勝利や勝利に貢献するのは当然のこと」と、応援を一種の義務感や責任感を感じるものとして考えるようもなります。
さらに、ファンとして応援する自分そのものに自分らしさ(アイデンティティー)を感じて、「応援対象=自分らしさ」と結びつけることもあります。
応援対象によっては、例えば、ただスポーツをするだけの無機質なスポーツ選手としてではなく、スポーツを通して多くの人に自分の感じている気持ちやメッセージ(例:世界平和、地域貢献など)を伝えたり、場合によっては哲学や思想等を伝えて、ファンとの交流を大事にする人もいて、その気持ちに感化された熱狂的なファンが付く光景はよく見られます。
応援対象が持つ思想と自分と重ねあわせて、「応援対象の持つ思想=自分らしさ」という考えを形成していると言ってもいいでしょう。
応援対象の否定を自分自身(アイデンティティ)の否定と感じて苦痛を感じる
しかし、応援対象がいつも試合に勝利をしてばかりだとか、活動が好調で人気が右肩あがりに伸びている…と言うものではありません。
また、応援対象がビジネスとして活動している場合だと、人気低迷を受けて今までのファンを切り捨て、新規のファンを取り込むために、大幅な路線変更を行うこともよくあるものです。
上でも述べたように「応援対象=自分」と結びつけているために、活動の不調や路線変更といった、一ファンのちからではどうにもできない事を自分自身の否定と捉える、場合によっては自分らしさアイデンティティーまでも否定されたと感じて強い精神的苦痛を感じてしまいます。
また、応援対象の不調を見て、自分がチームの一員として貢献しているのに、それに対する見返りがないことだと感じて苦痛を覚えることもあります。
例えばプロ野球で贔屓球団がおり、自分の貴重な時間、量力、金銭を労力を使って球場に出向いて応援しているのにもかかわらず、いつも負けてばかりだと「自分のファンとしての努力が否定された」ように感じて不愉快な気持ちが募って行くものです。
しかし、不愉快なのは他のファン同じですし、ファンだからこそじっと耐えて粘り強く応援することも大事と言う理性的な気持ちもあるので、イライラした気持ちとそれを抑えてこらえる辛さの板挟み(=葛藤、フラストレーション)に苦しみます。
そして、募った葛藤が抑えきれなくなると、アンチ活動に出てしまうのです。
苦痛の矛先が応援対象に向かいアンチと化す
ファン活動をして抱えた靴が我慢の限界を迎え、汚いヤジや誹謗中傷などの攻撃的な行動として、怒りや不満の矛先が応援対象に向かいます。
攻撃的な行動をとることで、今まで感じていた不快な気持ちを発散させ、精神的な安定を保とうとしているのです。
なお、当の本人が「これも応援の一種」と、あくまでもやっと自分のやっている事はファン活動であり、アンチ活動ではないと認識していることがあります。
仮にこの行動をファン活動として見た場合、ファンとして純粋に応援したい気持ちとは裏腹に、アンチのように攻撃的な行動とってしまう事は、自我防衛機制の反動形成と見ることができます。
反動形成は、いわゆる「ツンデレ」のように、好意のある相手に対して相手冷たい態度取るといった、自分の気持ちと逆の行動をとることで心理的な安定を保とうとする心の動きを指す言葉です。
冒頭で触れた、「アンチ活動をしているように見えて、実はファンなのでは?」と感じてしまうのは、活動防衛規制の反動形成をもとに考えると納得できる理屈と言えます。
なお、苦痛の矛先が応援対象以外に向くこともあります。例えば、贔屓球団のライバル球団に対して挑発的な態度を取るように、八つ当たり(=防衛機制の置き換え)として出ることもあります。
キューブラー・ロスモデルから見るファンがアンチに変わるメカニズム
ファンが半地下するメカニズムについて、集団同一視や防衛機制の他にも、「キューブラーロス・モデル」を用いて説明していきます。
キューブラーロスモデルの概要は以下の通りです。
「キューブラー・ロスモデル」とは、末期ガン患者が自らの最後を受け入れる過程をまとめたものであり、以下の5つに分かれています。
否認:自らが死ぬ事は本当なのかと疑い否定する。
怒り:なぜ自分が死ななければいけないのか怒る。
取引:生きながらえられるように、様々な手段を尽くす。
抑うつ:すべての努力は無駄だと悟り落ち込む。
受容:自らの死をようやく受け入れる。
アンチ化するファンは、抑うつ、受容の段階までたどり着けず、否認~取引までの段階を延々と繰り返しているのだと考えることもできます。
以下、否認、怒り、取引の各段階について解説していきます。
否認
自分の応援対象が不調に悩んでいる現実実を認めようとしない。路線変更した事実を受け入れられず、応援対象に対して疑いの目を向けてしまうことです。
集団同一視でも触れたように、応援対象と自分を重ね合わせているため、応援対象の否定は自分自身の否定と感じており、自分が否定されるているという事実を認められずに取り乱したり、冷静でいられなくなることがあります。
怒り
応援対象だけでなく、自分自身までも否定されること強い怒りを感じている状況です。
しかし、怒りを感じている人の中には自分自身が応援対象と同一視している自覚を持てず、不調や路線変更に納得できず、純粋に怒りを覚えているだけだと考えている場合もあります。
もとより、否認、怒りによって冷静さを失なっているいるために、「応援対象=自分自身」と俯瞰的な視点で応援対象と自分との関係性を認知し難いことも、純粋に怒りを覚えていると感じる一因だと考えられます。
取引
自分が否定されている状況なんとか乗り切るために、あえてアンチ活動と見られてしまうような攻撃的な応援をしてしまうことです。
ヤジ、誹謗中傷、ネガティブなコメント…など、状況を知らない人からすれば「アンチだ」と判断される行動であっても、本人からすれば自分が感じている不快感や怒りを解消し、精神的な安定を図るために行っている行動です。
なお、取引の先には「抑うつ」…つまり、自分のやっている(アンチ)活動ですらも全て無駄と悟って、落ち込む苦痛を耐えなければいけません。
その苦痛に耐えられないために、取引の段階から先に進めず「否認→怒り→取引→否認…」を延々と繰り返しているのだと考えることができます。
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