いじられキャラの人が抱えるストレスについて

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いじられキャラは美味しいとはよく言いますが、実際にいじられる身になると、自分の気にしている事(容姿、性格、趣味など)を笑いのネタとして利用されているように感じて辛くなる。

傍から見れば、人気者で輪の中心にいるように見えるかもしれませんが、冷静に見れば人気者ではなく笑い者にされているように感じて、そんな自分に嫌気が指してしまう。

また、いじってくる人は所属している集団内に留まらず、たとえば学校ならクラスの垣根を越えて別のクラスや、はたまた上級生や下級生にまで波及してしまい、ますますいじられキャラから脱出できない不安で苦しむ。

いじられキャラは対して美味しくもないし、むしろストレスフルで辛い…ってなことを、かつていじられキャラであった筆者自身の過去を振り返って、ひしひしと感じます。

今回はそんないじられキャラの人が抱えるストレスに関して、お話しいたします。

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いじられキャラの人が抱えるストレスについて

恥をかいて自己肯定感が削られる

いじられキャラが笑いを取るときにまず味わうのが、恥をかくことの苦しさです。

それも、いじってくる人ただ一人だけに恥ずかしい部分を見せるのではなく、いじりの様子を楽しんで見る観衆や、誰かがいじられている様子を見て見ぬふりをする傍観者の人にまでも恥を晒す。

また、多くの人に対して恥ずかしいと感じる部分を、笑いのネタとして提供してしまった以上、他の人からも同じようにそのネタを使っていじって来られては、その度にまた恥ずかしい思いをして自己肯定感を削られてしまうことが、いじられキャラの苦悩です。

もちろん、いじってくる人に対して「このネタではいじらないで欲しい!」と言えればいいのですが、「いじられキャラなのにネタに本気になるなよ」という類の返答がきてしまうと、言い返しづらくなる。

必死の主張が認められないどころか、「いじられキャラの癖にノリが悪くて恥ずかしいやつだ」と言われているように感じて、集団の雰囲気に合わせられない自分に申し訳のなさを感じてしまう。

もちろん、いじってくる人が調子に乗っているだとか、いじりの技術が純粋に下手という、最もな見方も十分にできますが、それでもなお、自分の所属している集団の雰囲気作りに貢献できていないことを指摘されて「なんて自分は恥ずかしい人間なんだろう」という、自責感情に苦しむのです。

いじられキャラのイメージが広まり、キャラ変更が難しくなる

いじりが行われるのは、いじられる人といじる人の二者間のみで行われることは稀で、大抵は

  • いじる人
  • いじられる人
  • いじっている様子を楽しんで見ている人(=観衆)
  • いじっている様子を見て見ぬふりしている人(=傍観者)

と多くの人を巻き込んだうえで、いじりというコミュニケーションは行われます。(余談だが、この4種の立場は、いじめの四層構造が元ネタである)

当然ながら、いじる人といじられる人の二者間のみの時とは違い、自分がいじられている様子は多くの人から見られてしまい、その分恥ずかしさを強く感じやすい。

加えて、多数の人からいじられている様子を見られていることから「あの人はいじっても安全な人だ」と認知されてしまい、多くの人から見ていじられキャラというかピエロのような扱いを受けることが、いじられキャラの人が抱えるストレスとなります。

また、多くの人からいじられキャラのイメージがついてしまうと、クラス替えや部活を変えるといった、小さな人間関係の変化ではキャラ変更が難しい。

自分のことを知らない人ばかりがいる学校に進学する、という具合に人間関係を大幅に買えない限りは、いじられキャラを脱出することは難しい。キャラ変更の難しさ故に、学校在学中に限らず、卒業後もいじられキャラとしての扱いを受ける苦悩があります。

後輩から軽んじられる辛さ

上からの続きになりますが、上下関係のある人間関係においていじられキャラであることは、場合によっては後輩から軽んじられ、見下してもいい先輩として接して来られる状況を招いてしまう。

人として最低限度の礼節さえ、わきまえなくてもいい程度の人間だと見られている事実に苦しむのです。

加えて、後輩からいじられ軽く扱われていることを、同級生や先輩にいじりのネタとして使われたり、同情の言葉をかけられることもまた、相応の辛さがあります。

とはいえ、同級生や先輩がいじってこなければ、こんな目にあわなくても済んだかもしれないので、まさにどの口が言うかと言いたくなる案件です。

しかし、いじられキャラであるが故に、そんな強気な態度を取るのは難しく、しぶしぶ後輩からいじられる状況を受け入れてしまう自分に情けなさを感じるのも、大きなストレス源です。

下ネタ、プライベートネタなど下世話ないじりの辛さ

いじられキャラだった時にとても困ったのが、下ネタやプライベートに関する話題など、ゴシップ誌のような下世話なネタを振られて笑いを取るよう求められたことです。

そもそも、いじるというコミュニケーション自体、他人を笑い者にするという品性の無さが際立つコミュニケーションなので、どうしてもその品性相応にしょーもなくて、聞くに耐えない下品なネタ振りに走ることは自然の流れとも言えます。

とはいえ、そんな下品なネタ振りであっても、その場の雰囲気に飲み込まれて言わざるを得なかったり、口を閉ざそうものなら「ノリが悪い」「面白くないやつだ」と拒否することそのものがまた別のいじりのネタを与えてしまう不安があるからこそ、いやでも下品なノリに付き合わざるを得ず、自ら恥を晒すことを選んでしまうのが、強いストレスです。

加えて、ネタ振りをする側…つまり、いじってくる人はそもそも下品な話題を口にしないし、仮に自分にネタが振られるようなことがあると、そのネタをいじられキャラの人に押し付けて恥をかかないようにやり過ごそうとする小賢しいところもまた、いじられキャラの人がストレスを感じる原因の一つです。

気が付けば、いつもいじられキャラの人ばかりが恥をかき続け、それ以外の人は恥じをかくことなくのほほんと過ごせる…この、不平等感に苦しむいじられキャラの人は、きっと少なくないと思います。

ただの八つ当たりや愚痴聞きとしていじられる苦悩

下世話ないじりの項目を見てなんとなく想像出来るかもしれませんが、いじられキャラは立場上、人間関係において不満や鬱憤を抱える人のサンドバック役になりやすい損な立場でもあります。

しかし、個人的な八つ当たりであることをオープンにして実行してしまっては、八つ当たりをする人自身の信用や立場問題に関わる。かと言って、不満を自分の中だけでうまく処理することはできず、何とかして発散したい衝動に駆られている。

そんなモヤモヤとした気持ちを持っている人から見て、いじられキャラの人が身近にいることはまさに好都合です。

ただ八つ当たりして誰かを虐げてストレスを発散することを「いじり」という言い換えて安心して行える。八つ当たりではなくいじりとして行えば、自分の評判を落とす不安も少ないどころか、周囲に対して「面白いやつ」と見られて評価を上げるメリットもある。

また、いじられる側からしても、表面的には「いじり」なので、まさか八つ当たりやストレス解消のために自分をキツくあたっていると断定しづらい。仮に「八つ当たりではないか?」と意見を言えば「いじられキャラのくせに面白くない、ノリが悪い」と、ますますいじりがひどくなる恐怖があるからこそ、キツいいじりでも受け入れてしまう苦悩があるのです。

「いじらないでほしい」すらもいじりのネタに利用される怖さ

何度も触れているように、いじられキャラの人にとって「いじらないでほしい」と意見を述べることですらも、「またまた、そんなこと言って~」といじる側にネタを提供してしまうのが、いじられキャラであることの何よりの怖さです。

真剣に「やめてほしい」と訴えても、それすらも冗談や演技と見られて相手にされない。

とくに、集団内で面白く盛り上げてくれることを期待されている場合だと、「やめてほしい」と訴えることは、その期待を裏切り場をしらけさせる事になる。

そして、その白けたムードをなんとか明るくするためにも、必死の主張を笑いのネタに利用する…という、いじられキャラの人の必死の訴えを無視した一連の流れができてしまうのです。

こうしたことが続くと次第に、この人たちには何を言っても無駄だから、反発するのをやめていじられキャラを受け入れたほうが楽になる…」と学習性無力感を起こしてしまう。

やめてほしいと訴えても無駄だという事実で苦しむぐらいなら、いっそのこといじられキャラの立場を受け入れたほうが精神的に楽になれる…という合理的な考えに基づいて、ストレスフリーは無理にしても、まだストレスがマシな状況を受けいれてしまう苦悩があるのです。

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