嫌いな人なのに何度もアカウントを見てしまう。苦手としているのにいちいちつっかかってしまう。
いわゆる「アンチ」と呼ばれる人の行動を見ていると、「なぜ嫌っているのに見てしまうのだろうか…?」という素朴な疑問を抱く人は少なくありません。
熱心なアンチともなれば、SNSを駆使して四六時中嫌いな人のことを追いかけ回してはコメントを残したりすることもあり「その行動の原動力は一体どこから来ているのだろうか?」という疑問を抱くのも無理は無いかと思います。
今回はそんなアンチの行動から読み取れる心理についてお話しいたします。
アンチが嫌いな人を見てしまう理由
「感情一致効果」によるもの
心理学では感情一致効果と呼ばれる言葉があります。
感情一致効果とは、人間が無意識に自分の感情と一致した情報ばかりを集めようとする心理を表した言葉であり言葉です。
例えば良い気分のときには、自分の周囲で起きている事の中でも特に楽しいことやポジティブなことに目が向き記憶に残るものです。
一方で憂鬱な気分のときには、自分の周囲の起きている事の中でも、嫌なことや否定的なことネガティブなことに目が向いてしまい記憶に残ります。
このように周囲の状況の中で感情に一致した情報ばかりに注目してしまうことが感情一致効果なのです。
アンチになる人は、普段からストレスを抱えていたり不満やイライラを抱えていることから、人を見るにしても、つい否定的な側面ばかりを見る癖があります。
日常生活の中で満たされない感情に合うように自分の周囲で起きていることを否定的な目で見てしまうので「嫌っている人のいい面を積極的にみつけよう」となりにくくなるのです。
もちろん「嫌なら見なきゃればいい」というアンチ対策の鉄板に則って、嫌っている人のことを見ないように過ごせば、穏やかな気持ちになれるのではないか?…と感じる人も多いでしょう。
しかし、今まさに憂鬱な気分で胸がいっぱいのアンチにとっては、嫌なものを見ないようにすることは、自分のイライラとした感情と一致しない世界を見ることになるので精神的に落ち着きません。
結果として嫌っている人の投稿を見て否定的な情報を入手した方が、自分の感情と一致しているために安心感を覚えるのです。
「確証バイアス」によるもの
アンチは自分が嫌っている人に対して強い先入観や偏見を持っています。
そして、その先入観をより強化するために、その先入観に沿った情報集めたり、ひねくれたものの見方をしてしまい、その人を見る目にバイアスがかかってしまってます。
このように、先入観によって対象となる人や集団を偏った視点で見てしまうことを確証バイアスと呼びます。
アンチの人は嫌っている人に対して当然ながら否定的な目で見る癖がついているので、たとえどんな行動していたとしても難癖をつけてしまうのです。
また、確証バイアスが強くなりすぎると、あえて嫌っている人から距離を置いて見ないようにすることすら「自分の確証が揺らいでしまう恐れがある」と感じます。その不安を払拭するためにも、つい嫌いな人のことを見てしまうのです。
長いことアンチになっている人は、確証バイアスにより偏った自分のものの見方が一種のアイデンティティになっていることもあります。
そのアイデンティティーを崩さないためにも、適宜嫌っているとの情報を入手してしまうのです。
正義感の強さに駆られている
アンチの人には「自分は絶対に正しいんだ」と言う、正義感の強さが見られることがあります。
自分が正しいと考えているために、アンチ活動により相手が傷ついている様子を見れば「自分の楽しさは間違っていなかった」と感じて満足感を得ることができます。
しかし、アンチの活動をものともせず活動している普段通りに活動している人を見ると、「自分の正しさはやっぱり間違っていた」と敗北感を味わうことになります。
当然ながら正義感の強さゆえに「自分自身が間違っていた」とか「自分にも正すべき未熟さがあるんだ」と言う自己不全感を受け入れることは難しく、反省から逃げ、粘着してアンチ活動に励んでしまうことがあります。
アンチからすれば自分が嫌っている人の邪魔をする事は自分の正義を証明することと同じであり、そしてその正義は当然認められてしかるべきであると言う規定路線で物事を考えていることが目立ちます。
そのため、自分のメンタルが苦しくなってもアンチ活動に打ち込み、相手のメンタルが折れるまでしつこくネガコメを残すのです。
完璧主義、潔癖主義な性格の影響
やたらとストイックなアンチの人の行動を見ていると、完璧主義や潔癖主義のような性格が影響しているのだと考えることができます。
完璧主義に陥ると「○○でなければならない」と言うような強迫観念が強くなります。
強迫観念は本人の意思とは無関係に絶えず頭に浮かんでくる関連のことであり、強すぎると不快感や不安を伴い心理的な苦痛を招きます。
また、強迫観念の強さが影響して、自分がもともと応援していた人に対して、過剰なまでの潔癖さや、無垢であることを強要してしまうこともあります。
いわゆるさんからアンチにファンからアンチになってしまう人に多いのが、潔癖主義のように人間の内面は清らかで美しくあるべきだ、と言うような綺麗であることこそが良いと言う考え方が暴走しているケースです。
- 芸能人の恋人発覚や不倫報道でアンチになる人
- アニメのキャラで過去に恋人がいたという設定でアンチになる人。
- 人気アイドルのSNSの投稿を見て、恋人がいる気配を感じてアンチになる人。
などの、潔癖主義からくるアンチの多くは、恋愛に関するネタが絡んでファンからアンチへと豹変し、粘着質なアンチになるのです。
「恋の恨みは恐ろしい」ではありませんが、恋愛に関する恨み辛みの恐ろしさというものを、アンチの行動を追っているとひしひしと感じることができます。
チェックがストレス解消の手段になっている
感情一致効果でも触れたように、アンチの人は日ごろから不満やイライラを抱えています。
その不満を解消するための手段として、(理不尽ではありますが)自分が嫌っている人のことをあえて検索して、ネガコメを残すことで解消しようとするのです。
ネガコメ…つまり悪口にはストレスや欲求不満を解消したり、日常生活で傷ついた自尊心を癒す効果があります。
誰かを闇雲に頭ごなしに否定することで、間接的に自分の価値を相対的に自分の立場を上げて自分を良く見せることができるので、日常生活で鬱屈な気持ちを抱えている人と人ほど、見ず知らずの他人の弱点を攻撃して優越感に浸ろうとするのです。
また、アンチの人は同じくアンチの人と仲良くなり交流を深めることもあります。
他人の悪口をネタにして一致団結する人たちと同じで、「共通の敵がいる」と言う状況が自分の抱いているモヤモヤとした気持ちを打ち明けられる仲間を見つけることに一役買うことがあるのです。
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アンチは少数派になるために、無意識のうちに周囲から情報を入手してしまう背景も
アンチとは少し離れますが、書籍「ネット炎上の研究」によれば、現場の参加者は前ネットユーザ中の0.5%と言うデータが出ています。
実際にSNSでの援助を見ていると炎上の様子を見ていると、多くの人が炎上に参加していてコメントを残しているように見えますが、その実態はごくごく少数の人が焚き付け、燃えるように煽っているのだと考えることができます。
このことはファンとアンチの関係でも同じだと思います。
アンチと呼ばれて実際に否定的なコメントを残している人は、ネット上では割と散見されますが、実際には少数派であり多くのファンの前ではアンチの声はかき消されてしまうのが現実的です。
そんな少数派と言うこともあって、アンチの人は意図的にフォローをはずしたりブロックをかけたりして嫌なものを極力見ないように心がけていても、大多数の人から何らかのきっかけで嫌いな人の情報を目にしてしまい、嫌な気持ちになってしまうのだと言うこともアンチの心理を知る上では考えておくのが良いかと思います。
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