仕事やスポーツでケアレスミスをしてしまったり、学校でいじめや喧嘩が起きた場面では「反省」を求められることがあります。
反省を通して事で、二度と同じような過ちを繰り返さないようにする、仲直りをさせるなどの目的を果たそうとさせます。しかし、この時に反省のやりかたを間違ってしまうと、同じミスを繰り返したり、余計に人間関係を悪化させてしまう事も起きてしまいかねません。
また、反省の指せ方次第では、自分自身を追い詰めるような事になってしまい、反省した人が自己嫌悪や自己否定をしてしまい過度に落ち込ます事になってしまいます。
日常生活でよく口にする「反省」という言葉ですが、その反省の効果的なやりかたをまとめました。
「反省」とは具体的に何なのか
「反省」という言葉が使われるのは、
・誰かに怒られているとき。
・悪いことをしてしまった時。
・悪いことしてしまって誰かを傷つけた時。
・他人や集団に迷惑や損害を与えてしまった時
などの場面でよく使わる言葉です。
例えば、野球部の試合の場面。試合の後半で集中力が欠けてきたことでエラーが発生。相手チームに得点を与えてしまい、勝利を許す結果になったとします。
この時に、エラーを起こしてしまった選手には、反省をした同じようなミスを無くすことが求められます。チームが目標としている「勝つこと」「優勝すること」という目標を達成するためには、反省が必要になります。
エラーを起こしてしまった選手は、今回のエラーの原因となった集中力の低下を反省する事。そして、次の試合で同じようなミスを防ぐために、どうすれば集中力が途切れないような対策を考えるのが大切になります。対策をしっかり立てて、次回以降同じようなエラーを起こさなくなれば、チームが目標としている「勝つこと」「優勝すること」に一歩近づくことができます。
ここで、反省もせずただ何も考えないままであれば、次の試合でも同じようなエラーを起こして、相手に失点や勝利を許してしまうことを繰り返してしまいます。それが続くと、チームを勝利に導くことができないばかりか、レギュラーから降ろされてしまうこともあります。
しっかりと反省を通じて同じミスを繰り返さないための対策を立てなければ、自分にとってもチームにとっても良いことがありません。
ネガティブになるだけの反省のやりかた
しかし、上に書いたとおりに、失敗に対して反省し、同じ失敗を繰り返さないためにどう対策をとるか…という意味で「反省」という言葉が使われる場面はまだまだ少ないです。
「反省」という言葉は
・失敗した、悪い事をした、と自覚させるために使う。
・何としてでも謝らせるために使う。
・誰かに迷惑や損害を与えさせたと認めさせる。
という意味で使われる事が圧倒的に多いです。ミスをして上司、先生、コーチから「反省しろ」「反省しなさい」「反省が必要だ」と言われることが主です。
「反省しなさい」と言っただけでは、「はい、自分が悪かったです。二度とこのようなミスを起こさないようにします。すみませんでした。」…で、終わってしまうことが大半。大事なのは自分の非を認め謝ることではなく、その後なんでそのミスが起きてしまったのか、どうしたら次に同じミスを起こさないかということ。その大切な部分がまるっきり抜けてしまっているのです。
また、ミスや過失をした人に対して、強く反省を要求させる事もあります。強く反省しているという誠意を示すために、土下座をさせる、反省文を書かせる、といった行動を強要させる事もあります。
こういう時の反省は、反省というよりは「躾(しつけ)」「罰則」「おしおき」「見せしめ」「マウンティング」のような意味合いをもち、相手の自尊心を傷つけコントロールしようとしているだけです。度がすぎれば「虐待」「体罰」「精神的暴力」と捉えられ反省どころではありません。
「倍返しだ!」で有名なドラマ「半沢直樹」が流行した頃には、客が店員に土下座をさせてその写真をSNSにアップして炎上、という騒動もありました。
そのような形で反省をさせても、同じようなミスを防ぐために何をすべきか当事者同士が話して、建設的な意見は生まれません。人を見下して気持ちよくなりたい、自分は他人に土下座をさせたことを誰かに自慢したい、という自分勝手な思いから相手を反省させても、ただ相手の自尊心を傷つけるだけです。たとえ、正義感からくる反省の強要であっても、反省させることそのものが目的になってしまっては、問題の根本的な解決にはつながりません。
このような反省を強いられる側にとっては、同じミスを繰り返さないことよりも、いかに反省の「フリ」が上手くなるか、相手の怒りがおさまるのを待つか、という事を考えてしまいがちで建設的ではありません。
また、罰則やおしおきのようなことをさせられて、心をひどく傷つけられてしまうこともあります。「自分はダメ人間なんだ」「社会のお荷物だ」「自分はこの集団に必要ないんだ」などと自分を過度に傷つけてしまい、自己否定や自己嫌悪にさせてしまいます。
とくに、大勢の人が見ている状況で反省をさせることは、そうでない時と比べてより落ち込みや自己否定を招きやすくなります。
反省をする/させる先にあるのは、同じ失敗を繰り返さないための対策を考えること。そこにたどり着かず、ただ悪いと認めさせる、罰やおしおきになってしまい、やる気や自信を奪うだけでは、ネガティブ反省になっているという事を心に留めておきましょう。
ポジティブになれる反省のやりかた
逆にポジティブになれる反省の仕方とは、繰り返し書いているように、自分の非を認めた上で、同じ失敗をどうすれば繰り返さないかについて考えていく事です。
また、ポジティブになれるよう、反省するときに押さえておきたいコツがあります。
それは「失敗につながった行動」と「自分自身」とを切り離して考えることです。失敗はいくら努力して防ごうとしても、0(ゼロ)にすることはできません。
失敗した時は「今回は自分自身が悪かったのではなく、失敗につながった行動に問題があったんだ」と考えることが肝心です。その後、再発防止策を考えて行くように考え方をコントロールしていくのが、ポジティブな反省のやり方です。
また、「失敗したことを怒られる」=「自分自身を否定されている」と感じて、失敗した現実を冷静に直視できなくなります。
直視していないので、パニックになったりその場でひどく落ち込むだけで、結局なんの反省もせずにまた同じような失敗繰り返している人もよくいます。
失敗やミスに対してあってはならない事、という過度なネガティブイメージを持ってしまうと根本的な問題の解決につながりません。そのままでは自分にとっても、自分に迷惑をかけた相手に対してもプラスにはなりません。
失敗を恐れるほど、良い反省はできなくなる
不景気が当たり前な世の中で生まれ育って来た、10代、20代の若者では、挑戦することよりも安定した生活の方が大切であるという意識が強く植えつけられています。
安定した生活が手に入らなかった場合、ブラック企業のような低賃金で長時間労働のような仕事に就くか、ニートになるかという極端な考え方をしている人も多くいます。その考え方の行き着く先は「安定した生活=人生の成功」であり「それ以外の生活=失敗」という二者択一な物の見方です。
また、挑戦した人のことを「意識高い系」と皮肉や偏見の目で見るような人たちや、少しでも周囲と違った行動をとった人を面白おかしく小馬鹿にする光景をよく見かけます。起業を計画したり、SNSでの情報発信を始めると、「あいつは宗教にでもはまったのか?」「誰かに騙されているだけじゃね?」という心無い言葉を投げつけられるのも珍しくありません。
そして、挑戦した人が挫折したり躓いたりした様子をみて「なにやってんだあいつww」「だから言っただろ、やっても無駄。どうせ失敗するだけだ。」というように、挑戦した人に対して心無いヤジを飛ばしてくる人がいるのも事実。ネット上だと匿名なのをいいことにして、言いたい放題言えてしまうのが現状です。
このような状況では、たとえ人生が順風満帆に進んでいても、失敗することに過度な恐怖感を抱き、失敗そのものを非日常的なあってはならない事と考えてしまうのも無理はありません。
失敗に対して過度な恐怖心を抱くと、失敗した行動と自分自身とを切り離して考える事が難しくなります。結果、ただ自己否定したり現実逃避に走る、ネガティブな反省を招いてしまいます。
自分が人を指導する場合だと、相手の失敗に対してただ感情的に罰を与えてしまうばかりで、相手の自尊心を折ったり、反発心を刺激してしまうばかりです。
反省させる方も反省する方もお互い幸せになれるためには、失敗に対して過度な恐怖心を持たないこと。反省の場面では、あくまでも失敗した行動にしっかり着目し、自分や相手の人格と切り話す。その上で今後についてどうすればいいかを冷静になって考えていくこと。このコツを少しずつでいいので、普段の反省の中に取り入れてください。
そうすることで、反省しても不快感で悩まされることの無い、ポジティブな反省ができるようになります。