すぐに「ごめんなさい」「すみません」と謝る必要がいないのにすぐに謝ってしまう人といると、なんだか鬱陶しい、しつこい、うざいと感じてしまうことがあるものでしょう。
まるで、自分が他人を謝罪させているかのように感じたり、必死に謝罪をしているものの、なぜその謝罪をしているのか原因や背景が見えてこないことが、イライラとした気持ちにつながっているのだと考えることができます。
また、中にはプライドの高さが原因となり、口先だけのまるで心がこもっていない謝罪であるため、必然的に不愉快な気持ちになることもあります。
今回はそんな謝りすぎる人に感じる不快感についてお話しいたします。
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目次
「いい人」に思われたい人に見えてげんなりする
何があっても自分の非を認めようとせず頑固として謝罪しない人と比較すれば、すぐに謝れる人と言うのはとても理想的、まるで聖人君子のように見えるかもしれません。
しかしそのことを利用して、あえて必要もないのに謝罪をすることで、周囲から自分を過剰によく見せようとしている人もいます。
「私は他人からいい人だと思われたい!」と言う強い気持ちが、謝罪から透けて見える。謝罪できる謙虚さを周囲に振りまきつつも、実は世間の評判や自分のイメージアップばかりに目が行き、なんとも自己中心的で人としての薄っぺらさを感じてしまうからこそ、がっかりしてしまうのです。
まるで、政治家が選挙前にやたら謙虚になって庶民に対して責任感のある自分をアピールするかのように、あくまでも謝罪は自分をよく見せるための営業活動でしかなく、打算や計算でやっていることが上手に隠せていないと、謝罪に対するありがたみ、謝罪という行動の真剣味がなくなってしまうのは無理はありません。
肥大化したプライドを守るために謝っているように感じて不愉快
すぐに謝る人の中には、肥大化したプライドを守るために、口先だけで謝罪になっている人がいます。当然口先だけなので、本心で責任や自分の非を認める、心からの素直な謝罪とは別です。
また、口では「すみませんでした」と言ってるものの、その態度からは、「はいはい、私が悪うございました、すみませんでした……さて、私は謝ったんだから、もうこれ以上この話はしないでね」とプライドの高さが隠しきれていない。
ただ相手から見下されるだけでなく、自分をぞんざいに扱われていることを態度から感じ取って、非常に腹立たしく不快な気持ちになるのです。
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すぐに謝って場の雰囲気を壊す扱いづらさがあるから
何でもかんでも謝る人は、すぐに謝る行動のせいでその場の雰囲気を崩してしまう面倒な人ともいえます。
例えば友達同士の楽しい場面であっても、ささいなことで「ごめんなさい」と謝る癖のせいで、場の雰囲気が暗くなり、その後の会話が途絶えてしまうことがあるものです。
そして、雰囲気をぶち壊してしまった事に対しても謝罪を重ね、雰囲気の暗さが雰囲気を暗さを呼び、謝罪が謝罪を呼ぶ悪循環に陥り、大変扱うのがめんどくさい人だと感じてしまいます。
普通に話すだけでも、どこに地雷ワードがあるかわからない不安がある。そして、一度ど地雷を踏み抜くと、何度も謝り続けて雰囲気の悪化に歯止めがきかなくなりかねない。
でも、謝ってる人に対して強く主張しようものなら、まるで自分が弱いものいじめをしている悪者みたいに思われてしまうので、まともに付き合うのがわずらわしくなり、距離を置きたくなるのです。
謝罪に圧倒されてこちらも縮こまりそうになるから
謝罪する人に圧倒されて、なんだか見ている方も「何か申し訳ないことをしてしまったなぁ…」と罪悪感や反省したい気持ちに駆られることがあります。
共感性羞恥のように、自分とは全く関係がない人の謝罪する姿であっても、まるで自分が罪を犯してしまった極悪人のように捉えてしまい、つい自分も謝りたい衝動に駆られているのだとも考えられます。
当然ながら、謝罪するムーブメントが周囲に広がってしまうと、その場の雰囲気は大変暗くなり、まるでお葬式のような静けさが広まってしまう厄介さがあります。
相手の気持ちや顔色を無視して謝る身勝手さが引っかかる
とにかく謝る人は、他人に対して熱心に謝罪の意を伝えているように見えて、実は他人との対話を避け、一方的に「自分が自分が」と自己主張をしている身勝手さがあると考えることもできます。
謝罪をするには、当然ながら開いて謝罪をする相手の存在が必要。謝罪もコミュニケーションの一種である以上、お互いの気持ちや言葉のやりとりが欠かせません。
しかし、すぐ謝る人の謝罪は「自分が悪かったんです!」「この責任は全て自分にあります!」と、やたら一方的で、相手の気持ちや言葉を聞く姿勢が見られません。
それどころか、「そこまで謝らなくても良いのでは?」「いやいや、あなただけが悪いわけじゃないでしょ?」と相手が言葉を投げかけても、それをすべて拒絶して「自分が悪かったんです!」と相手の言葉を無視して頑固になる姿が、不快感の原因になるのです。
相手の事情や言葉を聞こうとせず、一方的に自分の謝罪の気持ちや言葉を押し付けてくる。
まるで、一方的に怒鳴り付けで来る人のように、一方的に謝ってくる人も、ぱっと見は対話をしているように見えて、実情は一方的に自分の感情や気持ちを相手にぶつけているだけであり、相手の方を見て会話していないからこそ、その態度に対して不快な気持ちを抱いてしまうのです。
謙虚なように見えて実は相手に失礼な態度を取っている
必要な場面でしっかり謝罪できる人は、謙虚さや誠実さを感じさせるものですが、一方的に謝ってくる人にはそれらが感じ取れません。
上でも触れたように、相手の気持ちを無視して一方的に謝罪する身勝手さがあると同時に、卑屈すぎて、無意識のうちに相手に失礼なことを言っている、自分の考えを押し付けていることが目立ちます。
例えば友達として付き合っている人が、「こんな私に付き合ってもらってごめんね」と言った場合、謝った方としては、友達のことを尊敬しているから言ったのだとしても、受け取る側からすれば、「私は友達のことが好きだから付き合っているのであって、哀れみや同情で付き合っているわけではない」と感じて、お互いに感情の行き違いが発生します。
また、すぐに謝る人は、自己肯定感の低さ故に、「自分は相手を不快にさせているし、相手もそう思っているに違いない」と、勝手に相手の気持ちを決めつける。そして、その決めつけをもとに無意識の内に失礼な行動に出てしまうことがあります。
それも一度だけではなく何度も行う。無自覚に相手に対して失礼な態度を頻繁に続けるので、次第に相手もイライラしてしまいます。
しかし、そのイライラすらも、「あーやっぱり自分はダメな人間だから、相手を不快にしているんだ」と謝るための材料となり、ますます卑屈さに拍車がかかります。
すぐに謝る人との人間関係は、あらゆることが謝罪の材料となり「謝罪から次の謝罪」と言うループから抜け出せないために、非常にめんどくさくて、鬱陶しくなる。
そのことが、「すぐに謝る人はうざい」と言う気持ちを生んでいるのではないかと考えられます。
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