共依存の関係は辛くて、重くて、お互いがしんどさを覚える関係ではありますが、だからといって関係を断ち切りはどこか薄情な人間になるような気がしてためらってズルズルと関係を続けてしまう。
相手の好意に甘え続けてばかりではいけないと薄々自覚していても、精神的に自立することに強い不安を感じ、その不安から逃れるように相手の好意に甘え続けてしまった結果、ズルズルと関係が長引いてやめ時を見失うことが目立ちます。
今回はそんな長引きやすい共依存の関係を抜け出すために、理解すべき事についてお話いたします。
目次
共依存が原因で仕事、勉強に支障が出るリスクがあると理解する
共依存の人間関係の恐ろしさは、精神的な自立心が養われず、仕事や勉強など自分の将来や生活に悪影響を及ぼしかねないことです。
例えば、親子で共依存の関係に陥ってしまっている場合、仕事を持っている親が子供のわがままに付き合うことばかりを優先してしまい、仕事がおろそかになってしまうことが起こりえます。
また、そんな親に甘え続けている子供のほうも、自立心が養われないことで働く意欲が持てなくなったり、仮に仕事にありつけたとしてもすぐに仕事を辞めてしまい、親の好意に甘えきった生活を選んでしまうことが起こりえます。
実際に、引きこもりやニートの子供とその子供を支える親の関係をよく見ていくと、実は共依存の関係に陥っており、お互いに今の状況のままではダメだと感じていても、その状況を脱せないことで葛藤を覚えているというケースがあります。
他にも、共依存の恋人関係や友達関係に陥ってしまい、学校生活においても依存しているor依存されている人のことばかりが気になってしまい、勉強に集中できなくなり成績を悪化させてしまうことも起こりえます。
(現代からすれば時代錯誤かもしれませんが)恋愛禁止の校則を掲げている学校には、こうした共依存の関係に陥ることで起こりえる学業成績の悪化や、自堕落な生活に陥ることを予防する意図があるのだと分析することもできます。
このように、共依存の度合いを強めてしまい、まともな社会生活を送れなくなることで、自分の人生だけでなく相手の人生までも生きづらさを与えてしまう可能性について、十分に理解する事が大事です。
共依存のまま家庭を持てば、子供も共依存の関係を学習してしまう可能性を理解する
もしも、恋人同士の関係で共依存に陥ったまま結婚して子供ができてしまうと、自分の子供が「共依存の関係=人間関係のお手本」だと学習してしまう可能性があります。
実際に共依存に陥ってしまう人の中には、自分の両親が共依存の関係に陥っていたために、自分も共依存の関係そのものに対する違和感やおかしさに気付けなかった…と言う人がいるものです。
親から虐待を受けて育った子供が、自分が子供を持つ状況になった時に虐待を自然と繰り返してしまうのと同じく、子供にとって共依存関係の両親の存在は、その子の生き方や人との関わり方に大きな影響を及ぼすのだと理解することが大事です。
なお、両親が共依存の関係であると言うと、ひょっとしたら相思相愛でおしどり夫婦と言うイメージをされるかもしませんが、実際は…
- アルコール依存症の父親とそれを支える母親
- DVやモラハラを振るう父親とそれに耐えて言いなりになる母親
- ギャンブル依存や浪費癖で家計を圧迫する父親と、家計を支えるために健康を犠牲にしてまで働く母親
など、常に不安や恐怖がつきまとい、子供の精神的な成長に悪影響を及ぼすことが容易に想像できる夫婦(家族関係)であることが目立ちます。もちろん、父親が常に母親に対して危害を加えるケースばかりでなく、恐妻家や鬼嫁のように母親が父親に対して危害を加えるケースもあります。
「自分たち恋人(夫婦)は共依存の関係でもお互い納得している」と言って問題ないと片付けるのではなく、共依存の関係を子供に見せてしまうことで与える影響の大きさを自覚することが大事です。
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一人の人間に依存することが更なる辛さや虚無感を招いているのだと理解する
共依存の関係は、問題が起きていない場面においては、心が満たされたり、居心地の良さを感じる正の側面があります。
しかし、相手に強く依存しているために、その関係が途切れそうな場面になると、強い不安や寂しさを感じてしまう。用事等で依存している相手と連絡を取れない時間ができると、虚無感や虚脱感を抱いてしまうことで、より人恋しさを求める感情を生み出すという、共依存ならではの負の側面もあります。
依存している相手が1人しかいないために、その1人が自分の元を離れてしまうと、自分の唯一の精神的な拠り所をなくしてしまう恐怖を味わうことが、共依存の怖さです。
なお、恋人関係や友達関係において「自分には〇〇しかない」と言う強い信念は、絆の強さや愛情の強さ、そして人によってはカリスマ性などの魅力を感じさせる言動ではあります。
しかし、こうした強い信念こそ、実は相手と離れることへの抵抗感や寂しさ、虚無感を生み出している現実と向き合うことが、共依存をやめるために理解すべき事といえます。
困っている人の問題を肩代わりするばかりでなく、問題を自覚させることも優しさだと理解する
共依存に陥る人…それも依存される側や依存してくる人を支える人(イネイブラー)となる人は、とても真面目で優しく責任感の強い人であることが目立ちます。
しかし、その優しさが仇となり、自分が解決する必要性がない問題であっても「自分がなんとかしなければいけない」と責任感を感じて、問題解決のために努力しようとしてしまう。結果として、自分が提供する優しさを求めて依存したがる人と関係を持ってしまう、気が付けば共依存の関係に陥ってしまうのです。
もちろん、困っている人を助けると言う事は社会通念や道徳に照らし合わせても、推奨・賞賛される行為です。持ち前のまじめさゆえに、どんな形であれ困っている人を助けている自分に誇りを持てると同時に「自分は社会から認められるような正しいことをやっているんだ!」と言う充実感を得られます。
しかし、相手が解決すべき問題を肩代わりする事は、確かに困っている人を助けこそしますが、困っている人自身が自分が起こしている事の重大性に自覚できず、また同じような過ちをやりかねない状態のまま放置しているとも言えます。
言い方を悪くすれば、自己犠牲している自分に酔っている、その場しのぎの優しさで満足して困っている相手を破滅へと追い込んでいる、自己満足のために困っている人を必要としており実は自分の方が相手に依存している…とも見れます。
なお、こうした優しさの距離感については、医師や看護師のような普段から困っている人を助けるプロのプロの人たちの姿勢を見習うことが効果的です。
医師や看護師にとって、共依存含むあらゆる依存症を起こしている人に見せる優しさは「必要以上の世話や尻拭いはせず、当人が自分の起こしているもんだいを自覚し、依存症をやめようと言う気持ちにさせる」という、一定の距離感をキープしている優しさです。
こうした姿勢は、なんだか相手を突き放すように思えて心苦しいかもしれません。しかし、かといっていたずらに優しさ何でもかんでも言うことを聞いて相手の言いなりになることが、果たして本当に相手のためになるのか…と、じっくりと考えてみることが、共依存を抜け出すためにも大事です。
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