謝りたくないのに嫌々謝罪しているのがなんとなく分かってしまう相手というのは、見ていて非常に腹が立つものだと思います。
表面的には謝罪しているのに、腹の底では「なんで私が謝らなければいけないんだ」とでも言って不貞腐れているようなものなので、そんな中途半端な謝罪を見せられている方はあまり気持ちのいいものではありません。
もちろん、こうした謝りたくないのに仕方なく謝る人を見るばかりではなく、自分がなってしまう事も十分ありえるでしょう。
プライドの高い人、負けず嫌いな人、謝ることに過度な恐怖心を抱いている人ほど、反省や改善の色が見えない謝りかたのせいで、自分の評価や評判を落としたり周囲から呆れられてしまう原因となります。
今回は、そんな謝りたくないときの謝罪で気を付けておきたいことについてお話いたします。
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反省にならないダメな謝罪の例
どういった謝り方(言葉、態度など)が、謝りたくいのに嫌々謝っているように見えてしまうのかについて説明していきます。
「自分は悪くない」というのがにじみ出てる謝り方
- 「もしかしたら不快にさせてしまったかもしれません。すみませんでした。」
- 「もしも誤解させていたようでしたら、申し訳ございません」
などの、「もしも不快感を抱かせてしまってたら謝ります。ごめんなさい」と、あくまでも自分は悪くないというスタンスを貫いているのが透けて見える謝り方です。
この謝り方をする人の多くは、なぜ自分の言動が不快感を招く結果になってしまったのかという反省や洞察が甘く、自分を棚に上げる傾向が目立ちます。(=自分に甘く他人に厳しい傾向もある)
不快感を与えた事を謝罪するつもりが、返って不快感を募らせる皮肉なオチになり、下手に謝るぐらいなら何もしない方がマシな状態とも言えます。
もちろん、純粋に不快にさせる意図はなかったと自覚しているケースもありますが、その純粋さがなぜ人を不愉快にさせる結果に至ってしまったのかについて深堀ができていない。
要するに、反省のポーズはできるけど、原因の究明や改善点の発見に至らないので、同じようなミスを繰り返しては同じような「その気はなかったんですけど…まぁ、一応は謝っておきますよ」というお粗末な謝罪を繰り返します。
「あなたも悪いんですよ」と責任を押し付ける謝り方
- 「私が意図していたものとは違う捉え方をされた方がおられたみたいで、申し訳ございませんでした。」
謝罪される側にも原因や責任がある事を触れている謝り方。
潔さがないのに加え、責任をそれとなく謝罪される側に押し付けようとする魂胆が不誠実と見られて反感を招きます。
確かにどっちか一方が全面的に加害者である(あるいは全面的に被害者である)ということは少ないものですが、それを材料にして自分の落ち度を擦り付ければ、謝罪していることが嘘だと思われてしまうのは無理もありません。
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「面倒だから、とりあえず謝っとこう」という謝り方
- 「すみませんでした」とその場で即座に謝罪できるものの、その後ケロッとしている。
クレーマーのように面倒な客に対する、マニュアル対応のような機械的な謝り方です。
もちろん、クレーマー相手ではなく、普通の相手でこのような謝り方をされると「私は面倒な人だと思われて、雑に扱われている」と感じたり、逆に挑発されているように感じることもあります。
また、素早く謝れるので一見すれば「ちゃんと謝罪ができる紳士的な人」「頭を下げることができる物腰の柔らかい人」という温和な印象を持つこともあります。
しかし、その多くは謝罪はするけど反省や改善が見られないという残念差が目立ちます。
そして同じようなマニュアル対応の謝り方をすることから、「謝罪しているフリは上手だが、本心は謝罪も反省も見られない人」だと思われる原因となります。
なお、SNSやyoutubeなどで炎上を起こした人の多くが「とりあえず火消しのためにも謝っとけばいい」という目的で、このマニュアル対応のような謝罪投稿および動画を出していることが多々あります。
しかし、ここでいう謝罪はあくまでも炎上鎮火のための活動でしかなく、経緯の説明、原因の究明や改善策などについては謝罪投稿の中で触れられていないことが多々あります。
そのため、とにかく謝っていることだけはわかる投稿になる。ただし、誰に向けて謝っているのかわからない、何について謝っているのかわからないものになり、投稿を見ている人は「よくわかんないけど、とにかく謝っている光景を見せつけられている」という、釈然としない気持ちに襲われます。
まさに、謝罪という演技を見せつけられているかのようです。
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謝罪後に余計な言い訳を続ける
- 「確かに今回の件は私に責任がありますし謝罪致します。ですが……」
謝罪後に余計な一言を続けたことで、今まで謝罪が台無しになる。言い訳を付け加えることで嫌々謝罪していることが見えてしまうケース。
もちろん、加害者も別の視点から見れば不幸に巻き込まれた被害者であった、ということはありますが、だからといって加害者として他人にかけた迷惑そのものが綺麗さっぱりなくなることはありません。
「せっかく謝罪してれたので、許してあげようかな…」という気分になっていた被害者側も、言い訳を続けられるとあまりの未練タラタラっぷりに、一度許す気を持った過去の自分を恥じたくなるのも無理はありません。
改善がなければ謝罪は無駄になる
上でも触れていますが、謝罪後の改善が全くなく、同じようなミスを繰り返しては雑な謝り方をすれば、相手を不愉快にさせるだけでなく、自分の評価を下げる原因にもつながります。
謝罪された方からすれば、「誠心誠意謝っているのを見て受け入れて許したのに、また同じようなミスと謝罪では全然反省しているように見えない」と怒りを通り越して呆れてしまうのも無理はありません。
また、同じようなミスと謝罪を繰り返しているようでは、まさに今やっている謝罪は中途半端なものでしかないと自分で主張していると言っても無理はないでしょう。
もちろん、謝罪をしっかり行えることは素晴らしいのですが、それ以上に
- 原因の究明
- 再発防止策を練る
と言った改善を心がけることが欠かせません。
同じようなミスを繰り返しているようでは「自分は学習能力がない人ですよ」「謝罪はしますが改善はしませんと」と行動で示していることになるので、次第に呆れられてしまいます。
こんな調子でいい加減な態度で仕事をする人と協力する気になれないのは明白であり、知らず知らずのうちに自分の信用を地に落とせば、結局困るのは自分自身です。
謝罪と改善はセットにして行う
だからこそ、謝罪と改善はセットにして行うことが欠かせません。
謝罪は(言い方は悪いですが)短時間で済むので辛いのは一瞬だけですが、改善は場合によっては長期に及ぶものもありますし、何より頭を使って原因の究明および再発防止を練るために労力がかかるものです。
時間と労力だけで見れば、改善よりも謝罪の方が楽であり、謝罪だけするというのは案外簡単なものです。
しかし、上でも述べたように「お手軽な謝罪はしますが、面倒な改善はしませんよ」という姿勢では、怒りを通り越した呆れられてしまうのは無理もありませんし、そんなその場限りの雑で適当なノリでやり過ごす癖を身に付けることは、自分の信用を損ねることを招きます。
もちろん、謝罪するときに
- 「私は悪くない」という未練がましさを見せない。
- 謝罪する側に責任を押し付けない。
- マニュアル対応の謝罪に徹してさっさと片付けることを目的にしない。
- 余計な言い訳や言い逃れをしない。
などの、誠意が薄れる謝罪を避けるのはもちろんのこと、その後の地味改善までやり遂げられるように意識しておくべきでしょう。
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