今やスマホを使って何か写真を撮ることが当たり前の時代のせいか、いたるところで自分で時分を撮影する、いわゆる「自撮り」をする人が目に入るものです。
スマホのアプリを使って自撮りした写真に加工、装飾、補正を施したり、いい感じに仕上がった写真をSNSにアップすることは、一種の楽しみとして多くの人の間で浸透しています。
もちろん、写真だけでなく自撮りの動画を残す人も多く、自分で自分を撮影することが一つの文化や娯楽として根付いているように感じることもあるでしょう。
このように自撮りの文化が広まっている昨今では、あえて自撮りをしない人や頑なに自撮りを拒む人というのは、ひょっとしたら「ノリが悪いなぁ」だとか「ちょっと変わってるよね」など奇異の目で見られてしまうこともあるかもしれません。
今回は、そんな自撮りをしない人の心理や理由について、お話いたします。
自己顕示欲や承認欲求の強い人だと思われたくないから
自撮りをしない人にあるのが、自分が自己顕示欲や承認欲求が強く、誰かから注目を浴びることに必死になっている恥ずかしい人間だと他人から思われたくないからこそ、自撮りをしないというケースです。
当の本人が自撮りをしている人に対して「自己愛が強そう」「ナルシストみたい」という類の否定的なイメージを持っている。
そんなイメージを持っている人が、もしも自分が自撮りをする側の人間になろう物なら、自分自身が自己愛が強くてナルシストな人間の仲間入りをするように感じて、ひどく不愉快な気持ちになるからこそ、頑なに自撮りを拒む。
もし自撮りをしようものなら、まるで自分が恥ずかしい笑い者になったように感じて屈辱感や敗北感を味わうぐらいなら、自撮りとは無縁の生活を送った方がまだマシ…と考えてしまうのです。
もちろん、「自己愛が強そうに見られる」とか「ナルシストっぽく見られる」というのは、自分の思い込みにすぎであったり、過剰な自意識からくる感情だと自分で理解していることはあります。
しかし、理解はしていても、その感情を切り離すことはなかなか難しい。ただの感情ではなく、自撮りとは無縁であることが自分の性格や気質、自分らしさ(アイデンティティ)の一部となってしまうと、自撮りをすることは自分らしさを否定する恐怖を感じさせる行為になります。
自撮りに抵抗のない人からすれば、「自撮りぐらいで何をそこまで悩んでいるのだろう?」とお思いになるかもしれませんが、自撮りをしない人にとっては、自分の内面の根幹を揺るがすような苦悩や葛藤に直面する事態になるからこそ、自撮りに対して強いこだわりを見せてしまうのです。
ネット上で不特定多数の人に顔を晒すのは危険だと考えているから
冒頭でも触れたように、今や自撮りした写真をSNSなどのネット上にアップし、反応をもらうことは当たり前の時代です。
しかし、自分のアップした写真を見るのは、自分の友達や知り合いといった、面識があるごく限られた人物だけでなく、なんの面識もない赤の他人もネット上では閲覧可能です。
ただ閲覧するだけにとどまらず、場合によっては誹謗中傷や嘲笑などネガティブなコメントを残されたり、スクショに撮られて拡散されたことで、一生ネットの海を漂い続ける黒歴史を残してしまう可能性もあります。
かつてスタップ細胞で話題になった某理系女子や、号泣会見が話題になり動画素材として延々とネットユーザーのおもちゃにされた某県議のように、自分の意図せぬ形で笑いのネタとして消費され、その度に黒歴史が不特定多数の人に見られるような由々しき事態にならないためにも、自撮りもせず、ネット上にも自分の顔写真をアップしないのです。
…もちろん、某理系女子や某県議の例は少々特殊かもしれません。
しかし、もしも自撮りした写真に写りこんでいた景色や町並みから、自分の大まかな住所が特定され、そこからネットストーカーを呼び寄せてしまったら…、自分の個人情報(出身、所属など)が特定されたら…、自分の勤め先に嫌がらせの電話(いわゆる電凸)が来たら…など、リアルの生活に影響を与えるリスクは、自撮りをアップすることには付き物です。
他にも、自撮り写真を元に自分のなりすましのアカウントを作られたり、いかがわしいサービスに自撮り写真が使われたり…などのリスクを考えれば、自撮り写真という名の個人情報をネット上にアップすることの危険性がよくわかるかと思います。
なお、自撮りはするけど、ネット上にアップしなければ、特定されるなどの心配はないという意見もあることでしょう。
しかし、もしも自撮りしたスマホを紛失して誰かの手に渡ると同時に、その誰かさんがネット上にアップすれば、自分の自撮り写真が未来永劫ネットの海に残り続けてしまうリスクがあります。
また、紛失の他にも、友達が面白半分で自分のスマホを操作して、自撮り写真をネット上にアップしてしまったら…という場合も、同様にリスクがあります。
ここまで来ると疑心暗鬼も過ぎるかと言われるかもしれませんが、ネット上に自分の黒歴史が残る怖さと比較すれば、疑心暗鬼になるまで自撮り写真を拒むことは、決して間違いではないように感じます。
自分の見た目や容姿にコンプレックスがあり、写真に残しておきたくないから
自撮りは読んで字のごとく、自分で自分を撮影することです。
その性質上、自分の顔や容姿が写真に記録として残るのはもちろんのこと、構図によっては自分の顔や体の一部分をより強調して残すこともあります。
しかし、自分の顔や容姿にコンプレックスがある人からすれば、わざわざコンプレックスを感じている対象を好き好んで撮影しても不快感しか沸かない。
他人に撮られるのではなく、自分で自分の見たくない部分を記録として残す行為は、まさに愚の骨頂と呼ぶほかなく、何の利益も感じない。
カメラロールを開く度に、自分で撮影した自分のコンプレックスが嫌でも目に入ってきて、恥ずかしい気持ちに襲われる事態にならないためにも、自撮りとは無縁の生活を送っているのです。
余談になりますが、自撮りを楽しめる人は自分の顔や容姿に関するコンプレックスがない。あるいはコンプレックスを感じてはいるものの、そのコンプレックスを個性やチャームポイントとして肯定的に解釈できているからこそ、自撮りを楽しめているとも言えます。
自撮り一つを見ても、自分で自分をどう見ているのか、自分は他人からどう見られているのか…という心理や感情が隠れていことに目を向ければ、自撮りをする人、しない人の考えていることが、ぼんやりとでも把握できるようになるかと感じます。
「自撮りするorしない人はおかしい!」という短絡的な考えに陥らず「どうして自撮りするorしないのだろうか?」という視点を持つことが、些細な事のように見えて大事な事のように感じます。
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