真面目という言葉は一般的に「誠実である」「努力家である」「約束をしっかり守れる」という肯定的な意味合いで使われる言葉ではありますが、一方で「個性・特徴が無い」「消極的」「なんとなくつまらない人」と、否定的な意味合いで使われることもあります。
場合によっては、真面目という言葉が根暗、ジメジメとしている、地味…など、いわゆる「陰キャラ」という若者言葉の代わりに使われるケースもあります。
真面目という言葉のややこしさのせいで「真面目ですね」と声をかけてくる人に対して疑心暗鬼してしまったり、真面目な自分に対して自己嫌悪の念を抱いた方も、ひょっとしたら多いことだと思います。
今回は、そんな悪い意味で使われる「真面目」とは、一体どういうものなのか、についてお話しいたします。
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悪い意味として使われる「真面目」の裏にあるもの
無個性、特徴がない事の言い換え
冒頭でも触れたように、真面目には「誠実」「努力家」などの性格を表す意味を含んだ単語である一方で、無個性であることや、特徴らしい特徴が無いことを表す言葉として使われる側面もあります。
第一印象がなんとも言えない微妙な印象で、うまく言葉に表現しづらいとか、とくに顔が整っているorあまりよろしく無いなど、両極端に振り切れておらず、なんとも言い難い。
しかし、かと言って何も言わないままでは相手に失礼なので、苦肉の策として「真面目そうですね」と口にするのです。
なお、ここでいう「真面目」は無個性で特徴がない人に、とりあえず「真面目」という便宜的な性格を付与したのものでしかありません。そのため、人によっては「自分はぞんざいに扱われている」と感じることもあるでしょう。
某アイドルの歌で「ナンバーワンよりもオンリーワン」とにもあるように、個性が大事と言われる世の中だからこそ、無個性であることは、人によっては自分の全てを否定された、自分には価値が無いと感じる辛辣な言葉になりえます。
そうした辛辣さで相手を強く否定しないための優しさが「真面目」という言葉には含まれているようにも感じます。
消極的、活発さが無いことの言い換え
真面目が陰キャラという若者言葉に通ずるものがあることから、真面目には陰気なイメージがある、そこから転じて消極的、活発さが無いという意味合いを持つことも考えられます。
体育会系の組織やパリピな人達、イケイケドンドン(死語)な人がメインの集団からすれば、いわゆるオタク気質で大人しい人は、自分達の集団とは違う文化や行動様式を持った「真面目」な人間だと感じます。
もちろん、そうした文化や行動様式を尊重できればいいのですが、自分とは違う異質なものに対して嫌悪感や苦手意識を持ち、それをやんわりと表すために「真面目」という言葉が使われることも考えられます。
コミュニケーション能力が低い人を指す意味での真面目
真面目が持つ大人しいという意味合いが転じて、会話が苦手、話辛い印象がある、などコミュニケーション能力が低い人を指す言葉として「真面目」が使われることもあります。言うなれば「コミュ障」の、優しい言い換えと表現してもいいでしょう。
なお、コミュニケーション能力は会話が苦手、その場に応じた適切な言葉が言えない…などの、言語的コミュニケーション能力だけでなく、愛想が悪い、愛嬌が無い、仕草や表情が乏しい…など、その人が持つ態度や行動などの、非言語的コミュニケーション能力の低さも含まれています。
堅苦しい、融通が利かない頑固者の言い換え
その場のノリや雰囲気を優先して、とにかく楽しいことを優先することを大事にする人が放つ「真面目」という言葉には、堅苦しい、融通が利かない頑固者である、という意味合いが含まれていることがあります。言い方を悪くすれば「空気が読めない(KY)」と言っているのと同じです。
例を上げるとするならば、アニメ「ちびまる子ちゃん」に登場する丸尾君のように、学級委員としてクラスや学校、先生のためになるために努力を惜しまないという評価できる点がある一方で、その努力をほかの人に押し付けて来たり、自分の事を絶対視して他人を否定する行動・態度が、悪い意味の根源となります。
なお、こうした真面目な態度は、他人から独善的な態度と見られたり、真面目でない人に対して排他的になるなどの危うさもあります。
「つまらない人間である」とはストレートに言えない場面での「真面目」
恋愛関係や友達関係における「真面目」という言葉は、垢抜けていない…つまり地味である、芋っぽい、遊び慣れていない、田舎臭い、つまらない、などを指す意味として使われることもあります。
しかし、流石に「地味ですね」「つまらない人ですね」と言えば相手を傷付けることになるので、「真面目だね」と口にして、相手を気遣う優しさを発揮していると言えます。
ただし、この優しさに気づいてしまうと「恋人候補としても、友達候補としても、私にとってはつまらないので対象外です」と暗に言われていると察してしまい、深く傷つくこともあります。
なんだか、哀れみをかけられているように感じて惨めな気持ちに襲われたり、異性としても友達としても認めてもらえない事実を目の当たりにし、自分の不甲斐なさに情けなくなって、自己嫌悪をしたくなるのも無理はないと感じます。
「真面目」という言葉とバーナム効果
このように「真面目」という言葉は肯定的・否定的どちらの意味もカバーでき、且つその範囲も広いという特徴もあるために、困った場面でよく使える非常に便利な言葉です。
ただし、便利すぎて拡大解釈をしすぎたり、どうとでも取れてしまうことから、真面目という言葉を使う人同士で認識のズレが出てしまうことも考えられます。
下手をすれば、どんな行動や態度も全て「真面目」という言葉でカテゴライズしても「確かにそれも真面目に当てはまるよね」と、納得してしまいかねないほど、真面目という言葉の守備範囲の広さは顕著です。
こうして見ると「真面目」という言葉は、心理学でいうところのバーナム効果に通ずるものがあるように感じます。
バーナム効果とは、誰にでも当てはまるような曖昧な分析をされると、自分に当てはめた分析だと錯覚することを表した言葉です。
例えば、自分が血液型占いで「A型は几帳面だけど、実は自分の興味のあるものだけ几帳面になる」と、言われてつい、納得してしまう現象がバーナム効果です。
「Aのみ」「Bのみ」「AかつB」という範囲を絞った限定的な表現ではなく「AあるいはB」と範囲を広げた表現をするのが、バーナム効果の特徴です。
血液型占いに限らず、ほかの占いや自己分析においては、こうした白黒はっきりしない説明に対して、つい頷いてしまうことがありますが、それはバーナム効果により「自分もこれに当てはまる!」という錯覚を抱いているというわけです。
「真面目」という言葉の曖昧さがバーナム効果によるものだという考えが身につけられれば、少しは真面目と言われることに対して一喜一憂することなく、落ち着いて対処できるのかもしれないかと感じます。
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