この記事は「真面目系クズが生まれる原因・背景 学校生活編」の続編にあたる記事です。
真面目系クズが生まれる環境は大きく分けて、家庭環境と学校生活の二種類あり、この記事では家庭環境に焦点を当てて、解説していきます。
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目次
親の言うことをよく聞く手のかからない真面目な子になろうとする
真面目系クズのスタート地点は、真面目な子供になろうとするところからです。真面目になろうとする裏には、家庭での教育やしつけの影響があることは容易に想像できることでしょう。
ここでいう真面目な子になるための教育とは
- 聞き分けがよくて親の言うことをよく聞く子
- 親の言いつけを守れる素直な子
といった、わかりやすく言えば「良い子」になるように子供を育てて行くことです。
自分の子供が良い子になってくれれば、例えば小学校に入学して多くの子供や大人と関わるときに無駄な衝突を起こして迷惑をかけずに済むので、親としても安心できます。
また、真面目で良い子を育てていることから、同じく親同士(今風に言えばママ友)やご近所さん、親戚から「たいへんよい教育をなさっているのですね」と褒められて、認められることも期待できるでしょう。(更にその先には、中学受験で親を喜ばせてくれるとか、親孝行をしてくれる…など、親好みの良い子像がいろいろありますが…ここでは割愛します)
…もちろん、そんな思惑があることは、教育を受ける当の本人は知る由もありません。そもそも幼さゆえに、自分に向けられる教育の裏にある思惑や意図を理解できるだけの知識や頭脳もまだ身につけていません。
思春期の頃の子供のように「どうして親の言うことを聞かなきゃいけないのさ?」と反抗的な態度を取れるわけもなく、「とにかく親の言う通りにしなければ怒られてしまうから、言う通りにしなければ」と感じて、親が求める真面目で良い子になろうとします。
ただし、ここでいう良い子は言い方を悪くすれば、大人にとって管理しやすい子、手を煩わせない子、親としての自分の評価を上げるための子、とも表現できます。
大人目線で見ればこうした良い子は、わがままを言って泣きじゃくる子と比較すれば、扱いやすいものではありますが、その裏には親が求める真面目で良い子になるために、自分の感情を抑圧したり、言いたいこと・やりたい事を我慢してしまう癖を身について精神的な負担を抱えやすくなる側面もあります。
親の愛情のために子供らしい自分を出すことを抑圧する
「真面目なら愛する」のは条件付きの愛である
「真面目な子になるべき」という教育には、真面目でなければ怒鳴る、叱りつける、無視をするといった罰ががセットになることが多いものです。
- 真面目な子であれば受け入れる、認めてあげる、愛する
- 真面目な子にならなければ拒絶する、否定する、愛さない
という、アメ(報酬)とムチ(罰)を使い分けることによって、子供を真面目で良い子になるように導いていきます。
「(親である私は)○○すればあなたを愛します。しかし、○○しなければあなたを愛しません。」という条件を提示した愛情の与え方は「条件付きの愛」と呼ばれ、子供の心の発達に支障をきたす原因と考えられています。
真面目以外な自分を抑圧する
「真面目なら愛する、真面目でなくなれば愛さない」という姿勢を親から見せられたために、子供は真面目でない自分を抑圧して、徹底して真面目であろうと心がけます。
まだ独り立ちも出来ず、衣食住の大半を親に頼らざるを得ない子供からすれば、愛情が失われることは強い不安を感じます。
それこそ、親から「もうあなたは愛さないよ」見放されるだけでなく、家から追い出されて孤独と空腹に苦しむことを想像すればこそ、自分の感情を抑圧してでも真面目な自分を演じることで、親からの愛情を何とかして掴もうとします。
真面目で居続けることは、子供からすれば家庭という居場所から追い出されないための生存戦略です。なんとして生き延びるためにも、真面目でない自分を抑圧し、自分の個人的な感情や要求よりも、親の愛情が手に入る真面目な自分であり続けることに神経を使うのです
不安定な愛情のせいで自己肯定感や自信、自主性は育まれなくなる
子育てでは、親は子供に対して無条件の愛情を与えることで、子供は自己肯定感や自信を身に付け、それにより自主性を育むことができます。真面目であろうとなかろうと、それらを認めて肯定するのが無条件の愛情となります。
しかし、条件付きの愛情では子供はある一定のことをしなければ愛情が得られないため、不安定且つ一定ではない愛情です。
ですが、そんな不安定な愛情ですらも子供にとっては自分の無いと困るものなので、子供は愛情を得るために自分の感情を出すことを我慢する、場合によっては否定して、親が喜ぶような自分を演じることを選びます。
この過程において、「自分が持つ素直な感情を出してはいけない」「自分は無条件に肯定されているわけではない」ことを感じ取るため、自己肯定感や自信は育まれなくなる。そして、自主性も芽生えにくくなります。
むしろ、自主性を持ってしまい、真面目以外の自分を育てようものなら、ただでさえ不安定な愛情がますます得られなくなる不安があります。
自主性を持つことは、言い換えれば自らを不安な状況に追い込むようなものなので、徹底して真面目で親のいうことをよく聞く聞き分けのいい子になったほうが、まだ安心感を得ることができます。
親の教育のせいで真面目でない自分が受け入れられない葛藤に苦しむ
しかし、真面目で居続けることは自分の感情や意志を抑圧し続けて、親や周囲の無理をして必死に応えているだけであり、いつまでも続けられるものではありません。
とくに、思春期に差し掛かり自分らしさを自覚する時期になると、真面目で居続けることに疑問を持ったり「真面目な自分は本当の自分ではない」と感じて、反抗的な態度を取りたくなる衝動に駆られます。
ただし、今まで真面目以外な自分をことごとく否定してきたのに、今更自分が否定してきた真面目以外なものを取り入れることは、そう簡単なことではありません。
体力がない人を散々見下してきた人が、病気で体力が衰えてしまった時に強い葛藤を覚えるように、今まで自分が否定してきたものを受け入れる状況には強い葛藤を伴います。
それも、思春期という自分の力ではどうにもできない体と心に大きな変化が見られ、ただでさえ強い葛藤を抱きやすい時期に、更にその葛藤を強めるような状況ともなれば、精神的に強い負担を感じるのは言うまでもありません。
真面目にもなれず、真面目以外にもなれずにできる中途半端に真面目な自分
- 真面目な自分は自分らしさを感じられず辛い。
- かと言って、真面目以外な自分は受け入れるのに苦痛を伴う。
という葛藤を抱いた末に、そのどちらでもない中途半端に真面目な自分らしさ、つまり真面目系クズな自分らしさを獲得する事で、葛藤から逃れようとします。
要するに「真面目なように見えて実はクズ」という、真面目とクズの相容れない性質を持ち合わせた自分らしさ(アイデンティティ)を作ることで、葛藤を乗り切るのです。
クズなところを身につけておけば「自分は親のいいなりから解放された本当の自分をもっているんだ」と実感する事ができますし、、もしも「真面目以外のものを否定していたのに、クズに堕ちたのか?」と自問自答することがあっても、「私は真面目なところがあるから、決して自分が否定していたものに成り下がったわけではない!」と(一応は)説明して納得することが可能です。
傍から見れば、実に中途半端な真面目さを身につけているように思え、呆れるやら、まともに付き合うのがアホらしくなるように感じるかもしれません。
しかし、こうした中途半端な真面目さを身につけるのは、真面目さに縛られた家庭環境から精神的に自立することと、思春期を経て自分らしさを獲得する2つの目的を達成した結果であると言えます。
ただし、こうした自分らしさを手にしても、中途半端な真面目さゆえに社会生活を送る上で人から信用を得にくく、新たな生きづらさを招く原因になりがちです。
そもそもで言えば中途半端な真面目さゆえに、働く段階までこぎつけず、就職活動でつまづいたり、学校についていけなくなるなどの問題を招いていることも考えられます。
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